ミシュラン兄弟がいなければ、グルメ本は生まれなかった?
世の中にはおいしい食べ物が数えきれないほどあります。俗にいうグルメですね。グルメ好きが高じると「遠くまで出かけて行っても食べたい!」という、食いしん坊さんもたくさんいます。それにいまは、クチコミサイトやSNSでお店の評判を参考にしている人も少なくありません。何を隠そう、私もそのひとり。なかでも、おいしいお店を格付けして紹介する「ミシュランガイド」は、高い信頼に裏づけられたグルメ本のバイブルともいえる一冊です。一度このガイドブックに選ばれたお店はその後、なかなか予約の取れない人気店になったりしますからね。
ところでこのグルメガイドの発行元の「ミシュラン」は、誰もが知っている世界最大級のタイヤメーカー。ミシュランマン(正式名=ムッシュ・ビバンダム)といって、白いタイヤをいくつも積み重ねたような、ぽっちゃり体型の愛らしいキャラクターでもおなじみです。この会社は19世紀末のフランスで、アンドレとエドゥアールというミシュラン兄弟によって創立されました。一見、タイヤメーカーとグルメガイドはなんのつながりもないように思えますよね?今回は、なぜこの兄弟がグルメガイドを作るようになったのかを紹介しましょう。
クルマが増えれば、タイヤはもっと売れるはず!
「ミシュランガイド」の第一号はいまから100年以上前の1900年、フランスで発行されました。当時はまだクルマそのものが少なく、見かけるのが珍しいくらい。きっと道路もガタガタだったに違いありません。クルマの性能だって決して褒められたものではなく、故障やガス欠はあたり前。パンクだって日常茶飯事だったでしょう。でもそんな時代だからこそ、「もっと楽しくクルマを運転してもらいたい」「遠くまで快適にドライブしてほしい」と願った兄弟が思いついたのが、ガイドブックをつくることでした。
当初のミシュランガイドは、クルマの整備方法、道路地図、ガソリンスタンド、郵便局、修理工場、電話のある場所などを掲載することが主な目的。ドライバーが食事を楽しめるレストランや宿泊施設などはほんのオマケ程度だったようです。でも1900年といえばパリ万博が開催され、パリに地下鉄が走り出した年。人々が遠くまで移動することを楽しもうとする気風が生まれた頃です。その空気をミシュラン兄弟も悟ったのでしょう。「クルマが増えてくれば、うちのタイヤはもっともっと売れるに違いない」と考え、熱心にガイドブック制作に当たったそうです。ちなみにミシュランガイド第1号は、ドライバーに無料で配ったといいますから、何とも時代を感じるエピソードですね。
世界の美食家たちが待ち望んだ日本版ミシュランガイド。
現在のミシュランガイドのように、レストランを星で格付けするようになったのは1930年代。その方法も今と同じ、ミシュラン社員が匿名で施設調査を行うやり方です。1900年にフランスで発刊されたミシュランガイドは約100年間、ヨーロッパのお店が対象でした。それが21世紀には路線が拡大されてアメリカ版が登場。さらに2007年には東京版、2008年に香港・マカオ版が刊行されます。その後日本国内では京都・大阪版が刊行されるなど、美食家たちの興味と関心を世界各地へと向かわせたのです。ミシュランではおいしさの評価基準に星を与えることはご存じだと思いますが、ちなみに星3つは「そのために旅行する価値のある卓越した料理」というのが選定基準だとか。わざわざ「旅行する価値」と定義したところに、発刊当時のミシュラン兄弟の思い入れを感じます。
ドライブの目的は、きっとなんだっていい。
ミシュランでは2011年以降、調査範囲を拡大していて、日本国内でもいくつかの地域を取り上げた“日本版ミシュランガイド”を刊行しています。そのなかのひとつが、地元の北海道版です。昨年(2017年)は第2号が刊行され、大きな話題を振りまきました。今や世界中の人たちが認めるミシュランガイドですが、元々はクルマに乗る人のために作られた実用的な本。ちなみに初版の序文には、こんな言葉が載っています。「このガイドブックは、旅行者に宿泊と食事ができる場所を見つけていただくために編集されたものである」と。とはいっても、ミシュランガイドが家族や友人とおいしいものを食べに行くとか、宿泊をしたときの食事の案内役を務めるための本であることに変わりはありません。春になってどこかへ出かけたくなったら、ミシュランガイドを片手に、クルマを走らせてみてはどうでしょう。お目当てのお店があるなら、ドライブがもっと気持ちよくなると思いますよ♪