「負けるもんか。」に込められた企業姿勢
がんばっていれば、いつか報われる。持ち続ければ、夢はかなう。そんなのは幻想だ。
たいてい、努力は報われない。たいてい、正義は勝てやしない。たいてい、夢はかなわない。
そんなこと、現実の世の中ではよくあることだ。
けれど、それがどうした?スタートはそこからだ。
技術開発は失敗が99%。新しいことをやれば、必ずしくじる。腹が立つ。
だから、寝る時間、食う時間を惜しんで、何度でもやる。
さあ、きのうまでの自分を超えろ。きのうまでのHondaを超えろ。
これは「負けるもんか。」というワードをキャッチコピーに掲げた、Hondaの企業広告です。TVでは60秒という長尺で、ホンダ歴代のクルマやバイクが次々に現われ、時代の変遷を目の当たりにしたような映像とともに、上の語りかけるようなナレーションが流れる作品でした。余談ですが、この作品はSNSでも大変話題となり、ユーチューブでも若い人を中心にずい分再生されたそうです。そうそう。街なかやJR駅などにも、大きなポスターが貼られていましたっけ。
制作は2012年。ちょうど東日本大震災が起こった翌年なので、このCMに励まされ勇気づけられた人は多かったんじゃないでしょうか。実際この広告は、年間8,000点を超える作品の中でも最も権威のある広告団体からグランプリをいただいたので、覚えている方もいらっしゃるでしょう。あまり今風ではないかもしれないけれど、それでも創業時から培ってきた“Hondaの反骨精神”が人の心に届いたのだと思います。もう2018年も開けたので、もう6年。月日が流れるのは、早いものですね。
Honda創業者、本田宗一郎氏のこと
ご存じの方も多いと思いますが、現在のHondaの礎をつくったのは本田宗一郎氏です。戦後ゼロから出発した企業を、「世界のホンダ」といわれるまでに育て上げた本田氏がいつも口にしていた言葉が、「負けるもんか」だったといいます。どんな逆境にあっても必ず道はある。そう信じて、諦めず、成功するまで絶対にやりぬく。そういう強い思いで、困難に立ち向かったのでしょう。だからこそ、彼の情熱や精神が波紋のように広がり、社員やお客さまや、たくさんの人の共感を得たのだと思います。
彼は日本人として初めて、アメリカの自動車殿堂入りを果たすなど、海外でも高い評価を受けた経営者のひとりです。それは、独自の技術を開発した功績だけでなく、国際社会の一員として経済活動を続けてきたからにほかなりません。
きのうまでのHondaを超えていきたい
本田宗一郎氏が現役を退き、亡くなってから30年近く経ちます。それでも、彼のモノづくりに対する姿勢や好奇心の強さ、発想の斬新さ、常に前進を続ける原動力、そして何より、他人に負けたくないと思うからこそ、昼夜を惜しんでクルマづくりに注いできた努力と汗を、とても尊いと感じます。
私たちHondaCars札幌中央ボディサービスも、Hondaグループのひとつ。そして社員ひとり一人は、みんな本田宗一郎氏のことが好きで、彼の人間性や志に惹かれてこの会社の門をたたきました。だから私たちもまた、本田氏の遺伝子を継ぐ者たちです。今回はいつもとちょっとトーンの異なるコラムでしたが、いままでも、これからも。Hondaグループの一員であることを誇りに思い、「負けるもんか。」の精神をいつも忘れず、モノづくりにあたりたいと思っています。